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此方は漫画家・吉原基貴のブログです。 HP・Twitterと併せてお楽しみいただければ幸いです。
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『男の世界』がある。
雄として、社会的な地位や名誉、価値などとは別のところにある。
それがなくとも、ただ生きていくことはできる。
だが、『男の世界』に一度踏み入れた男子は、その独特の世界の輝きを知る。
少年の頃、かくれんぼで誰よりも狡猾に隠れた友人。
ドッジボールで、あらゆるボールをキャッチする同級生。
鉄柵の上を端から端へ、一度も落ちずに渡る奴。
彼らはヒーローだった。
それらがいかに難しいことなのか、少年達は知っている。少年達は、その勇気にあこがれる。

格闘ゲームが、誰よりも強い奴。

それは、少年時代格闘ゲームにあけくれた僕にとって、ひょっとすると大企業の社長なんかよりも、ずっと憧れるもの凄い称号なのだ。

僕がゲームに夢中になっていた時代。ゲームが上手なことは、社会的には何の価値も無いに等しかった。
喧嘩やスポーツや勉強で敵わなかった奴等。格闘ゲームで僕に勝てるヤツはいなかった。
格闘ゲームは僕にとって、初めて闘争によると勝利と自信をくれた。
それは、僕にとっての『男の世界』の入り口だった。
それから僕は格闘ゲームに夢中になった。
ゲームセンターの中学生にも負けなかった。時々負けた腹癒せに、顔を思いっきり睨みつけたり、嫌がらせをされたりもしたが、全然気にならなかった。
格闘ゲームをやってるときの僕はヒーローだった。

僕はまだ『男の世界』へ行く資格があるのだろうか。
時々、そんなことが頭をよぎる。
あれほど、僕を男として認めてくれた世界を、色んなことを言い訳に自ら手放してしまったような気がする。
とても身勝手な、申し訳ないような気分になる。
そんなとき、僕は目の前の事を何もかも投げ捨てて、何かを確かめるように『男の世界』へ身を投じたくなる。
ゲームセンターへ向かい、コインを入れる。
得体の知れない安心感が全身を包む。
『どうだ。俺はまだ、やれるんだぜ』

インターネットで格闘ゲームの対戦動画を観る。自分より強い奴がいる。
そいつが、どれだけの情熱と努力と犠牲を払い、その『力』を身につけたのか、僕にはわかる。
その『力』は、僕がいた『男の世界』で、鎬を削り、磨いてきた証なのだ。
僕にとっても、そいつにとっても、それはかけがえのない称号だ。
社会的には価値も無い。だけど、それがどうした。失ったら手に入らない。少年達の『宝』なのだ。
男ならわかっている。本当は、それが一番欲しかったものだということを。
あいつらは、それを今でも棄てずに護ってやがる。男にとって、こんなに羨ましくって、かっこいい話があるか!

僕は、あいつらが大好きだ。

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K
高校生だった頃、友人の家へ遊びに行ったことがあった。
こう書くと特別めずらしい事態でもないように思えるが、少なくとも自分にとってはとてもめずらしい体験をした。
その友人(K)ともう一人の友人(T)を含めた三人でゲームに没頭していた。騒いでいたのもあり、なにやら空腹になってきた。気がついたら夕飯時だった。
『腹減ったな。そろそろ帰るか。』などと思っていたら、なんだか良いにおいがしてきた。
友人(K)の両親がなにやら食事を用意してくれていた。Kは母親に手招きされて、料理を運んできた。
うな重だった。
突然のもてなしに僕とTは顔を合わせ『マジかよ』といいながらとても恐縮した気分になってしまった。
Kは、とても気恥ずかしそうな、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
なんだかいたたまれなくなって、もう帰ろうかと思ったりもしたが、そんな高価な(主観です)飯をいただいた手前すんなりと帰るのも気が引けて、結局9時半近くまでお邪魔して帰ることになった。
うな重の御礼を言わなければと思ったが、もうご両親も寝てるだろうと思い直し、小さな声で『ご馳走様したぁ。お邪魔しましたぁ』と呟き玄関で靴を履いていたら、Kのご両親が影からあらわれた。ご両親は何度か頭を下げて言った。
『今日はありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか』
一瞬、なんのことをいっているのかわからなかった。こちらも何度も頭を下げて、自転車でTと帰宅した。
そのときのKの顔は見てないし憶えていない。


今年も雪が降った。
積雪とまではいかないが、冬という季節を味わわせてくれた。
しかしこの程度の雪では、雪だるまは到底作れまい。
一見なにやら奇妙な言い回しに聴こえるかもしれないが、僕にとって、これは安堵すべき事態なのだ。

雪だるまには、穏やかならぬ因縁がある。

5歳の頃、父の仕事の都合で、僕ら家族は、アメリカ合衆国はイリノイ州の郊外に棲んでいた。
車で一時間ほどで大都市シカゴが見える。
当時の記憶といえば、名画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が大ヒットを飛ばしており、カーラジオからはマイケル・ジャクソンの『BAD』や、スティービー・ワンダーの軽快で心根に染みるサウンドが流れていた。
まだインターネットなどの先端技術は浸透しておらず、幼稚園児の時分ではとてもじゃあないが全米や世界の事情など把握も認識も出来ていなかった。
そんな僕の周囲では、『キッドナップ(子供攫い)』が多発していた。
バブル経済により、貧富の差が顕著に表れ、窃盗や強盗・誘拐や身代金などの事件が後を絶たない時代に突入していた。
家族は恐怖し、子供を独りで外出させてはいけないという地域の決まりごとが出来ていた。
僕の住む家には走り回れる程度の庭があったが、両親が揃い見守る時の他は、思い切り遊ぶことは出来なかった。父は忙しく、滅多に顔を見ることはなかった。

ある冬の日、目が覚めて窓から外を見たら、雪が積もっていた。
僕と兄と弟は、その一面の白い景色に心が躍った。気持ちをおさえる事が出来なかった。
喚く僕らを見た母は観念し、父が留守なのにかかわらず、僕らは庭に出る事を許された。
張り詰めた冬の朝の空気と雪のしっとりとした鋭い感触に、いつにも増して開放的な気分になった。
一頻りはしゃぎきって、僕らは雪だるまを作ることに決めた。

アメリカの雪だるまは、日本の二段式の雪だるまと違い、頭部・胴部・腰(脚)部の三段式になっている。
僕ら三人兄弟は、それぞれに部位を担当して、雪だるまを創作していった。胴部の両端に木の枝を挿し、頭部に木炭を二つ。中央に人参をつけて、雪だるまは完成した。
何かを成し遂げた達成感と、僕らの等身ほどあるその姿に、気分は更に高揚し、雪だるまの周囲をかけまわったり話しかけたりした。童話のように、雪だるまは今にもう動いてくれそうに感じていた。
ところが、雪だるまは何の返事もなかった。ピクリともしなかった。
そのうち、何故か僕は腹が立ってきて、雪だるまを蹴った。硬く丸めた雪が削れる事で、幾分気分が晴れたのか、僕は何度も雪だるまを蹴った。
そのうち、日が暮れかけ、僕らは家に入ることにした。

夜になると父が帰ってきた、庭先にある歪な雪だるまを目にして、妙に思ったのか、僕らに理由を問いただした。
事情を理解するなり、父は言った。
『大変な事をしてしまったな』
僕は、何の事をい言っているのかわからなかった。
父の顔は真剣だった。父は言葉を続けた。
『雪だるまは、傷をつけた人を呪うんだ。手で殴ったら、手を呪ってそいつを同じ目に遭わせる。お前は、何度も足で蹴ったな。雪だるまの呪いで、脚が腐っておちるぞ』
僕は全身が震えた。腐るという言葉の響きが、子供心に恐怖を増大させた。後悔と恐怖で涙が出てきた。
僕はどうすればいいのか、泣き喚きながら父に訊いた。
『いっしょうけんめい、あやまりなさい』
と、父は教えてくれた。
窓から、雪だるまが見えた。僕は泣きながら、雪だるまへ向かって、ごめんなさい、もうしませんと謝り続けた。
徐々に溶け、形状を崩してゆく雪だるまが、腐りおちていく時分の脚を連想させた。その恐怖に心底怯え、僕は一晩中窓から謝り続けた。

気がつくと、僕はベッドの中で、はっとして脚を弄り確かめた。脚は無事ついていた。
父や母に言うと、きっと一生懸命謝ったから、許してくれたのだと、笑いながら応えてくれた。
窓の外には、跡形も無い雪だるまの残骸が転がっていた。


あの時以来、僕は雪だるまを創るのも、観ることも苦手になったのだった。




2012年1月2日です。
元旦の更新はかないませんでしたが、そこは御愛嬌と云う事で。

昨年末は非常に慌しく、なかなかブログの更新もままなりませんでしたが(Twitterではちょこちょこ呟いていました)、今年は頑張って色々な事を発信出来る様に頑張ります!
去年のことは去年まで。また一日一日と経験と勉強を重ね、日々精進していきたいと思います。

また、本人への質問・リクエスト等ございましたら、ご気軽に返信コメント・メール等で御申しつけください!
時間と都合の許す限り、お応えさせていただけたらと思います。

それでは、2012年も宜しくお願い致します!

吉原基貴
『サイバーブルー ~失われた子供たち~』は、原哲夫先生の作品『CYBERブルー』のリバイバル作品にあたる。

原哲夫先生には、今作のネームや原稿のチェック、作品の方向性や今後の展開、その他、効果的な演出や台詞の使い方、魅力的なキャラクターの造り方といった漫画そのものの技術まで、多忙極めるスケジュールの中、貴重な時間を割いて下さり、随処に至り様々なアドバイスをいただいている(どれもまだ巧く使いこなせておりません。頑張ります)。

原哲夫先生の代表作の一つである『北斗の拳』(累計発行部数一億部)にはじまる、その途轍もない経歴と、漫画家生活30年の間、常に頂点を走り続けてきた経験から成る言葉は、深みがあり、重みがあり、確信と説得力がある。
アシスタント経験の少なさと、師とよべる漫画家を持たない僕にとって、先生の言葉は、遭難し転覆し、海の藻屑へと消える直前だった眼前に舞い降りた羅針盤のように、暗闇に射し込んだひとすじの光となって、僕の支えになっている。

『サイバーブルー ~失われた子供たち~』は、原哲夫先生と繋がりをもつ契機をくれた、僕の人生にとって、とても意味深い作品である。

だが、先生は御記憶に無いかもしれないが、僕はこの作品に関わる以前、先生と御逢いしたことがある。

2005年冬、僕が25歳の頃、『週刊コミックバンチ』(2010年終刊)で漫画を掲載させていただく事が決まり、様々な理由から、一時期だけ、吉祥寺のとあるビルにある、現在の仕事場を利用させていただいていた事があった(この話は、今後別の機会に)。
この仕事場は、かつて『週刊コミックバンチ』で連載を抱える漫画家が各々のスペースで作業するという、とてもめずらしい環境で、現在は『月刊コミックゼノン』の関係者が同様に使用している。
北条司先生や、次原隆二先生という、僕が子供の頃、『週刊少年ジャンプ』で連載していた大御所の先生方は、依然この現場で執筆している。

僕が初めて、原哲夫先生と御逢いしたのは、その時だった。

先生のスペースは一際大きく、常に緊張感に包まれていた。
その奥にある、先生の仕事部屋へ行き、ご挨拶をさせていただいた。

先生は、原稿を描いている最中だった。机の上には、鉛筆とインクで真っ黒な原稿が置いてあった。

その原稿をじっくり見たかったが、それどころではなかった。先生の漫画の愛読者(大ファンです)であった僕は、緊張と高揚で頭が真っ白になっていた。
何を話したのかよくわからない(失礼極まりないです。本当に申し訳ありませんでした)まま部屋を出た。

先生に認めてもらえるよう、一生懸命漫画を描こうと思った。
出版業界には、年末進行という特殊な(恐ろしい)状況があり、それ以降、先生をお見かけする事は無かった。
何とか原稿を描き終え、新年を迎えた。
『週刊コミックバンチ』主催の新年会へ、原稿を手伝っていただいた方々と一緒に参加した。

そこで、再び原哲夫先生と出遭った。

僕は、『週刊コミックバンチ』掲載分の原稿を総て描き上げており、ひょっとしたら、もう遭える機会もないかもしれないと思って(原稿を抱えていない分、幾分か気が楽になり、以前よりは冷静でいられました)、担当の編集者さんに、
『原先生と握手させていただけないか』
と、話をきりだしてみた。

先生は快諾して下さった。僕の原稿を手伝ってくれたアシスタントさん達や、勝手に連れてきた友人にまで、丁寧に握手を交していただいた。皆、とても興奮し、喜んでいた。
最後に僕の番になった。先生は、手を前に差し出していた。

この手が、あの真っ黒な原稿を描いているのかと思った。
僕が今まで、何度も読んできた、あの漫画を描いてきた手なのかと思った。
僕は、手の平の汗を拭き、原先生の前に立とうとした。

そのとき、僕は突然、先生に頭を下げ、

『ありがとうございました。』

と、御礼を言った。

先生は、少し不思議な顔をして、僕に会釈を交わし、その場をあとにした。


あの時、何故、原哲夫先生と握手を交わさなかったのか、僕にはまだわからない。
青春の期にありがちな、とがった自尊心によるものなのか、卑屈な感情の混じった遠慮なのか、そのどちらでもないような気がする。
ただ、あの時、原先生の手を握っていたら、僕は今こうやって、先生からいただいた様々なアドバイスを真正面から受け止め、頭を掻き毟り悩み、考え、渾身の想いで描いた原稿を、目をそらさずに、まっすぐに先生に見てもらおう、先生と、僕と同じく先生の漫画が好きな読者の皆さんに、愉しんでもらえるよう、認めてもらえるようになろう、と、そういう気持ちになる事は無かっただろうと思う。

描いた原稿の枚数だけ、先生が遠く感じる。何故この程度しか描けないのかと自責する。
それでも、いつか、胸を張って、あの手を握ることができるよう、漫画を描いていこうと思う。

僕にとって、原哲夫先生の手は、漫画と描くという、果てしない旅路の、一つの終着駅のようなものなのかもしれない。

僕の記憶の中には、いつまでも、あの時、先生の机に置いてあった、真っ黒な原稿が残っている。

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