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此方は漫画家・吉原基貴のブログです。 HP・Twitterと併せてお楽しみいただければ幸いです。
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今年で僕も31歳になり、『U-31』の主人公・河野敦彦と同じ歳になっている。
河野敦彦は、27歳の時から再び目指し始めた、念願の日本代表へ復帰して、そのストーリーに一先ずの幕をおろした。

僕は、『U-31』を描いていた当時、23歳だった。とてもじゃあないけれど、河野の心境には至ることは出来なかった。
『河野敦彦』は、当時原作者としてご一緒にお仕事をさせていただいた綱本将也氏・そして当時編集者として公私にわたり本当にお世話になった、N崎氏と、両名の精神や感情を併せ、それを僕のイメージする像と混ぜ合わせ、作品と共に練り上げていったキャラクターだった。
どちらかといえば、同作の登場人物の一人『戸澤敏行』(『瀧川』もだけれど)と同じ世代で、彼の言動や思考は、僕の当時の心境をく反映している(境遇や才能は全然及ばないけれど)。

要するに、人生や社会というものを舐めていた。

思うより若くして、当時目標としていた『週刊モーニング』での連載。
人生初めての、商業として発表した原稿が、そのまま掲載した第一話になった。

だが、いつの間にやら連載は終わり、いわゆる商業誌から姿を消した。
それでも、自分には才能があると過信していた。あの時の、あのデビューの感覚が、そう思わせていた。

自分だけが、その作品や自意識にしがみつき、気がつけば世界は、遥か先を進んでいた。
僕は完全に取り残されていた。

いつの間にか僕は、主人公・河野敦彦と同じ立場になっていた。

今、彼と同い歳になり、再び河野の人生を追う。単行本のページをめくる。
いつだって河野は、一生懸命に走っている。惨めな自分を認め、晒し、それでも走る。

ようやく、河野の気持ちがわかってきたような気がする。当時の綱本氏・N崎氏の、この作品に込められた想いが、理解できる気がする。
僕も、河野に負けず、走ろうと思う。河野に、よくやったと認めてもらえるまで、頑張ろうと思う。
今でも河野は、何処かで走り、フットボールを続けている。そう思える。
僕も、河野に負けず、ずっと漫画にしがみつき、描き続けたいと思う。

いつの日か、河野に胸を張って再び逢える日まで、そうしたら、また、あのストーリーの続きが描けそうな気がする。

その日がくるのを、楽しみに待っている。

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1980/04/28
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